鑑定会 : 第561回


前回の回答は、
 飛騨守藤原氏房/慶長九年二月日でした。

特徴:飛騨守藤原氏房は若狭守氏房の門人と云われているが
子にして氏房銘を襲名し美濃で永禄10年(1567)に生まれる。
初め河村伊勢千代といい後に平十郎と名乗ったと云われている。
本国は美濃で後に尾張に移住する。以前から慶長年号の飛騨守藤原氏房が
あると知られてておりましたが、この作品がその慶長裏銘のある氏房である作品であります。    
天正19年に清洲の領主であった豊臣秀次に謁見した
氏房・政常・信高の三名が許されて大きく評価された。
特に氏房は天正19年には関白豊臣秀次が清洲の領主となり
氏房、政常、信高の3名が聚楽第で謁見を許され各自の作刀を
献上した所から名を知られ飛騨守を受領し多くの侍、大名から
注文を依頼されたといわれております。
天正5年織田信孝の側小性として、11才で出仕し信孝が自害した後に浪人となる。
天正12年尾州蟹江城主佐久間正勝の幕下となり
しかし正勝が没落して領地を去った後に清洲に移り天正17年頃に刀匠として活動を始めた。
天正19年には関白豊臣秀次が清洲の領主となり、
氏房、政常、信高の3名が聚楽第で謁見を許され、各自の作刀を献上し翌5月に再度上洛して
氏房は飛騨守を賜った。その後、慶長15-6年に清より名古屋に移住したものと推せられる。
寛永8年(1631)正月飛騨守氏房に家督を譲り同年10月65歳で他界した。

第561回:今回の鑑定 誰でしょうか?(令和元年10月26日)
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刃長:68.6センチ
反り:0.4センチ
目釘穴:1個
元幅:3.03センチ
先幅:1.99センチ
重ね:0.71センチ
刀身重量:750グラム
体配:身幅、重ね尋常な刀で反りやや浅く切先が延びた体配の作品です。
地鉄:板目肌よく練れて黒味のする地金に地景が長く強く現れ景色となる。
刃紋:錵出来匂口の深い直刃にのたれが混じり刃中に砂流、細かな金筋が働く
帽子:乱れ込んで先匂口深く焼詰めに金筋が働く。

ヒント ※画像をクリックすると拡大します。

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回答は次回の鑑定会コーナーで発表致します。

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