皆様、もうすぐお正月を迎えます。
私が生まれましたのは、昭和15年7月31日です。
長い年月が経ちましたが、過ぎ去った日々を振り返ってみるのも面白いのではないかと思い、筆をとってみました。
私が生まれたのは高田馬場でした。
おそらく東京大空襲の際、焼夷弾が落ちて家が火災に遭いました。
当時、父は軍隊に出征しており、私たちは遠い親戚のもとへ疎開することになりました。
思い返せば、小さな農家に親戚の女性たちとともにしばらく暮らしていたものです。
蒸気機関車で煙を吐きながらトンネルに入ると、窓を開けたままでは車内に煙が入り込み、大変な思いをしました。
瀬戸内海を通り、多くの島を眺めながら岩国に到着し、錦帯橋を渡りました。
特徴的な橋で、その姿はいまでも鮮明に覚えております。
橋から川を覗くと、澄んだ青い水が岩に当たりながら流れており、とても美しい光景でした。
近くの家の柱の隙間から、赤い蟹が泡を吹きながら出てくるのを見たこともありました。
農家のご主人が縄を解き、藁で簡単な草鞋を作っていたのを覚えています。
昼間は川に出かけて遊びました。
バケツに入れたイモリは、背中が黒く、腹が赤い、いま思えば少々不気味な小動物です。
そんな場所で毎日のように遊んでいたのです。
ヤモリは「家を守る」と言われ、蚊や蝿などを食べてくれるため、大切にしていました。
ある日、山の頂から雲を突き抜けるように煙が伸びていくのを見ました。
今にして思えば、それは原子爆弾だったのでしょう。
岩国から広島まではそれほど遠くはありません。
その後、再び蒸気機関車に乗って東京駅に到着しました。
終戦を迎え、戦前の先生方が学校に戻り、授業が再開されました。
私たちは練馬に戻り、駅から徒歩3分ほどの場所に住んでおりました。
家の近くには清流が流れ、メダカが群れをなし、数多くのトンボが飛んでいました。
お歯黒トンボ、銀ヤンマ、オニヤンマ、シオカラトンボ、ムギワラトンボなど、自然豊かな環境でした。
やがて小学校に入学し、当時の校長先生の姿も今なお記憶に残っています。
軍服と帽子を身につけ、まるで現役の軍人のようでした。
食べ物が乏しく、非常に厳しい時代でした。
アメリカの軍人たちが持ち込んだDDTが、シラミやノミが媒介する病気を一掃しました。
私たちも学校で、頭や背中にDDTを撒かれたものです。
これにより、当時の感染症は一気に収まりました。
散布は合計2回行われたと記憶しています。
学校の授業は午前と午後に分かれて行われていました。
やがて給食が配給されるようになり、コッペパンと脱脂粉乳が出されました。
特に脱脂粉乳は非常に飲みにくく、口に入れるとえずいてしまうほどでした。
先生方も私たちと同じ教室で一緒に食べており、あの時代の苦労が偲ばれます。
ある日、私はコッペパンの端を天井に向けて食べるという遊びをしていたところ、先生に叱られました。
立たされ、往復ビンタを受けました。
もちろん、私が悪かったのです。
父は銀座で露天商を始め、外国人相手に財布や比較的高価な手袋などを販売して生計を立てました。
後には池袋にも店を出し、商売を広げました。
池袋からは、冬になると雪をかぶった富士山が見え、夕暮れ時の寒さとあいまって、まるで錦絵のような風景が広がっていたのを思い出します。
戦災によって池袋は焼け野原となっており、建物のほとんどは焼失していました。
寒さも厳しく、過酷な状況でした。
父と母は、米国・英国・オーストラリアの軍人たちを相手に、露天でセルロイド製品や財布などを販売しておりました。
銀座4丁目を中心に、十文字通りや池袋など、多くの場所で商売をしていたのです。
寒く物資も乏しい中、進駐軍の米兵やイギリス人、オーストラリア人、時にはインド人などとも取引がありました。
ジープに乗り、ピストルを腰に差したアメリカ兵たちの姿は、非常に格好よく映りました。
東京駅は、天井に爆弾で開いた穴がそのままになっており、瓦礫が積まれていました。
まさに混乱と苦難の時代でした。
上野には浮浪児たちが集まり、空気が詰まるような息苦しい雰囲気でした。
それでも私たち日本人は、力強く生き抜いてきたのです。
戦前、父は高田馬場で「ミルクホール」を営んでおりました。
戦後も再び同じような店を開きたいと願っていたようです。
銀座と池袋にそれぞれ1店舗ずつ露店を出し、商売を広げていきました。
やがて父の努力が実を結び、銀座で喫茶店を経営することに成功しました。
従業員2名の募集に対して85名の応募があり、当時の喫茶店がいかに人気のある職業であったかが伺えます。
しかし、景気が上向くにつれ、喫茶店という業種は利益の出にくい商売となっていきました。
人の世は常に浮き沈みの連続なのですね。
戦後の日本は、アメリカの保護下で軍備にはあまり力を入れず、自衛隊という形で慎ましやかに歩んできました。
しかし、今後はトランプ政権の影響により、米国は日本の防衛に関与しなくなり、戦闘機などもすべて日本自身が購入するよう求められるかもしれません。
今後は、中国、ロシア、北朝鮮といった国々が実際に脅威となる可能性があり、十分な警戒が必要です。
他国との友好関係を築き、戦争を避ける努力をしなければなりません。
さて、当社では日本刀の販売を行っております。
ご委託品もお預かりしております。
中には30年もの長い年月を経た品もございますが、丁寧に手入れされた立派な作品もあります。
一方で、多少の錆が見られる刀もございます。
そのような場合には、お客様のご意見を伺ったうえで、必要に応じて研磨を施し、販売させていただくこともございます。
どうぞご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。
当社では、あたかも自分の品物を販売するつもりで、責任を持って取り扱っておりますので、安心してお任せください。
万が一、私自身が偽物と判断した場合は、その旨を正直にお客様にお伝えしております。
先日もあるお客様から、委託販売に出された刀が「まるで研磨されたかのように美しくなっていた」と喜ばれたことがございました。
年の瀬も迫ってまいりました。
どうぞ皆様、お元気なお姿をお見せくださいませ。
おじいさま、おばあさまも、どうか健やかにお過ごしください。
私も元気に、週2回リハビリを続けております。
自宅からお店までの往復も、できる限り歩いております。
おかげさまで大きな病院にかかることなく、元気に過ごしております。
妻にも感謝しております。
奥様、旦那様、何かのご縁で結ばれたのですから、仲良く食事をとり、時には旅館などでゆったりとお過ごしください。
お互いに争うことなく、穏やかに暮らしていきましょう。
お子様には「親切」「快活」「質素」という大切な価値を伝えてあげてください。
つらいことを乗り越えれば、必ず楽しいことが待っています。
反対に、楽なことばかりを選んでいては、いつかつらい出来事がやってくるものです。
私はそう信じております。
若い方々には、ぜひ2つくらいの仕事を持っていただきたいと思います。
やりたいことに情熱を注ぎ、会社の仕事もきちんとこなせるようになります。
そして、会社の業務が終わった後は、自分の創意工夫で楽しみながら、新たな挑戦をしていってください。
それでは、皆様のご多幸とご健康を心よりお祈り申し上げます。
ご機嫌よう。
日本の政治をよくする会
ドン・キホーテ
会長 鶴田 一成
