日本刀販売、刀剣販売、日本刀の買い取り、委託販売、日本刀オークションの開催

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お知らせ

社長の一言

残暑厳しい毎日ですが、ぼちぼち朝夕の涼しい風が秋の気配を感じさせるようになってきました。
刀の鑑賞にも力が入るというものです。誰にも好き嫌いがあります。鎌倉以前の古刀がお好きな方もいらっしゃれば、あるいは南北朝期、室町時代初期・末期の頃のもの、はたまた慶長新刀、寛文新刀、もしくは江戸時代末期からの新々刀、は戦時中の作品、現代刀と好みが分かれる場合があるわけです。更には刀に脇差、短刀だけでなく、薙刀や槍、剣等といった趣向もございます。
日本刀は遥かな昔に中国、朝鮮半島を経て武器としての目的から持ち込まれ、その後実に長い時間を経て、やがて鑑賞する刀として歴史の変遷を経て確立していったに違いありません。刀に最高の研磨をほどこす事で地金の美しさを強調し、変化に富んだ刃紋が見る者に感激を与えたことからやがて、刀匠ら自身もまた優れた作品を目指し制作するようになり、作り手の銘を刀剣の茎に銘を刻む習慣がついていったのではないかと思います。
やがて日本刀には序列が出来、貴族や武士は有名な刀鍛冶の作するものを求め、競い合ったのでしょうね。 大名が沢山の有名な作品を求めたのは、手柄を立てた者達に報賞として手渡しその功労に報いたとかんがえられます。'その方この度の戦は見事であった。望みのものは何でも取らせるぞ 土地がいいのか、馬がよいのか、それとも何が望みだ。遠慮なくもうしてみよ。'
さりとてまさか土地が欲しいとはそうそう言えませんから、'出来ましたら殿のお腰の物を頂戴できればこれ以上の幸せはございません。' '良くぞ申した。それでは儂の則重を取らせる、大切に子々孫々迄伝えよ' とこんな具合で話がまとまったのでしょうか。土地が欲しいなんて言われなくて、大名も実際のところはほっとしていたのかも知れませんね。
日本刀というのは平安時代からかなり数多くの作品が残されていると感心せざるを得ません。
過去振り返ってみますと現在日本に残されている刀剣では室町時代末期の作品が非常に多いと皆様も思われると思います。戦国時代には実戦が日本全国規模で行われた為、武具の需要が極めて多量に制作され、さらには日本ばかりでなく中国や朝鮮半島迄輸出されました。日本刀は武士の象徴として評価され、武士は私達が想像する以上に刀を大切に扱っていたのでしょう。
元々日本の夏は湿気の強い風土ですし、雨や雪が降り注ぎますので日本刀を保存する為にはかなり神経を使わなければなりません。
錆びさせない様に注意を払い大切に保管していたのでしょう。更に、いくつもの戦火をかいくぐって現在に至ったのです。
1000年以上経過した古備前、古波平、古伯耆、山城の刀剣が状態も良く現存するのはどの時代の貴族や武士が日本刀を宝物を扱う気持ちを持ち続けたと思うのです。当時の状態の良い刀の茎には鮮明な銘と鑢目さえ残っているのです。 日本刀は折り返し鍛錬され何百層と折り曲げられて制作されますから、皮を何層にも何層にも重ねて焼いたミルフィーユの様な物です。
仮に表面が多少錆びてしまったとしても、中は何百層となっておりますので錆びた層が次の層との間に真空状態を作り、中の地金を錆から保護してくれているのです。
ですから実際に茎の錆びた部分をほんの少し削ってみますと、当時の金属の部分が鉛色に顔を出して参ります。日本刀が錆びにくいという所以です。
二次大戦頃以降に鍛えられたものは製造に機械が用いられるようになったがゆえにかなり良く精錬されており、鉄の層が緻密になっているがため層と層の間に空間が少なくなり、ほとんど一枚の鉄板といって良い程詰まってしまったがため、一旦錆びてきますと錆が深くまで達してしまうおそれのあるものもあります。
しかし近年になって多くの刀匠が古作の刀を研究されるようになり、驚く程見事な作品を制作されておられます。濤乱刃、清麿写しの相伝、柾目出来備前伝、一文字映し等見事な作品を制作しておられます。
しかしながら一方で、刃紋が正確な几帳面な刃紋が多く何となく自然体の作風がなかなか見当たりません。古刀はきっと枯れている、すなわち金属疲労によって地金が緩くなり柔らかさが醸し出されてくるのかも知れません。将来応永初期の康光、盛光の備前地鉄のように映りがあらわれる作品がいつかりっと、出来てくるのを楽しみに致しております。
さて、ロシアとの国交回復は以前申し上げました様にどんなに交渉しても占領された国土は日本には戻っては来ません。ほんのひとかけらの島でさえも。
そこかしこに港湾や空港が整備され、軍隊が常駐しているばかりでなく、国後島などは衛星写真でよく見てみますと、人が住むためのまで集落まで整備されはじめています。
日本がロシア北方に経済協力で進出し大きな経済発展に至った時には、北方領土へはロシア国内からまたさらに多くのロシア人が働き口を求めてやってくるに違いがありません。日本は過去中国に経済進出し、多くの企業が中国国内に設立されました。そして近年になり撤退する企業が増えてきた一方で、工場やそれを操業するためのノウハウだけが中国の手に渡ってしまいました。ロシアに進出した企業もいずれ、ロシアのいいなりにならざるを得なくなることでしょう。
そのような状況をきちんと理解して日本の経済進出を行うのであれば、それはそれで評価が出来るでしょう。しかしながら、その選択をするのであれば北方領土の返還は断念しなければ成りません。北方領土返還を常に謳いつつ、国益を考慮し、ロシアと狡猾に交渉しなければ成りません。
間違っても経済援助などは行ってはなりません。単に利用されるだけです。百年後の未来、日本はロシアに対して北方領土返還を求め続けていられるか? その時にはロシア北方地域はどうなっているのでしょう? 政治家であるならば目先のことにばかりとらわれず、国家百年の計の視点をもってあたらなければなりません。
オリンピックが終了しました。 数百億円をかけた華やかな祭典が終了致しました。さながら花火を打ち上げた後の、余韻と侘しさがないまぜになった複雑な心境です。
4年後の2020年には東京でオリンピックが開催され今度は数千億円数兆円という途方もない金額が投資されます。更にこの金額は膨らんでゆくことでしょう。
現在、ビルの建設ラッシュで労働者の賃金上昇と資材の価格暴騰、土地の価格上昇によって好景気と同時に大幅なインフレが発生しています。
参加される選手にとっては生命を懸けるくらいの重大事でありましょう。またスポーツ振興に大いに役に立つに違いありません。しかしながら、オリンピックに膨大な予算を費やす以前に、国としてはほかに優先してやるべきことがありましょう。
過日、熊本で被災された方がご来店されました。地震が発生した時立っていられないので這って外へ出たと話され、そのごの余震ではノイローゼになる位酷いものだったそうです。
もしいま東京に大地震が発生したならば未曾有の被害となりましょう。今からでも法律を再整備し、あるべき都市計画を行い実行しなければならないのです。地震対策、都市計画で美しい都市作りを早急に行わなければならないのです。オリンピックで浮かれている訳には参りません。
私は当社の刀の紹介文を書く為に時代背景の歴史をよく調べますが、平安時代から現在に至るまでに国内は大きな災害がいくつもありました。地震に津波、台風、火山の噴火や戦争等が次から次へと発生しているのです。日本は脆弱な豆腐の様な島の上にある様なものなのです。
私達は現在を見ながら過去を検証し、将来を予測しなければなりません。どうか真剣に考えようではありませんか。
夏の暑さもそろそろ過ぎ去り気持ちのよい秋の季節へと展開してまいりました。 栗ご飯を食べたり柿を食べたりしながら秋刀魚を七輪の炭で焼き醤油を垂らし大根おろしでムシャ、ムシャと食べる楽しい時期が来ました。 ビールや熱燗も結構ですね。
おっと 私は止めておきましょう。 糖尿病が良くはなりましたがキャベツを食べてからの主菜といたしましょう。キャベツは私に取っては確かに糖尿病にとっては素晴らしい効果がありました。
皆様もこの素晴らしい秋を満喫してどうかお元気で楽しい毎日をお過ごしください。
おじい様、あばあ様を労り、奥様を大切に、たまには温泉にお連れください。お子様には厳しくそして愛情をこめて良く話し合ってください。
それでは皆様ごきげんよう。
政治を良くする会ドンキホーテ 会長 鶴田一成