木梨艦長
わたくしは今木梨艦長の物語を書き終えてほっといたしております。
私が何故木梨艦長に興味を示し、
また本を書くことになったのかを書いてみたいと思います。
木梨艦長は海軍兵学校の時代に中間の成績で合格しましたが
卒業する時点では最も成績の悪いビリの成績で卒業をすることになりました。
その後は色々な戦艦・駆逐艦やその他の船に乗船し
戦争に遭遇しながら戦っていく事になりました。
しばらくして艦長を務めていきたいと思う様になりました。
おそらく乗船した時仲間や艦長から大いに勧められ、
艦長から彼の勤務報告報告があったのだと思います。
幸い試験を受ける許可を受けてから猛勉強を行い
成績はトップで卒業ができました。
卒業成績トップの者には、銀時計が賞として贈られます。
このことで彼は潜水艦の艦長として活躍することになりました。
初期の任務は南太平洋での敵の船を撃破する役目を受けて出航することになりました。
出撃中、日本軍を攻撃するために表れた一群が
遠方から木梨艦長の方向に向ってきたのです。
そこで木梨艦長は米軍の航空母艦(30機以上)
ワスプを3発の魚雷を打ち込んで沈めさらに
駆逐艦オブライエンも沈めさらに
戦艦ノースカロライナを中破させる大手柄を建てました。
良く木梨艦長は運が良いと言われるのですが
これはまるで私の意見とは異なります。
何時の時代でも運、不運は付いてまわります。
木梨艦長は必死で戦い大きな戦果をあげたのです。
日本に戻り、その努力と活躍が認められてドイツに行く事を命令されます。
このドイツへの使節はヒットラーの命令であったと言われており
5回の使節の中で、1回の成功でした。
木梨艦長のイ号は往路は成功し帰路には
台湾沖合で米軍の潜水艦に沈められました。
海上を日本に向けて全速力で走行していた時3名の船員は
船が沈むと同時に海に投げ出され1名だけが泳いで
台湾の小さな島に到着し助かりました。
私がこの事実を知ったのは、現在の刀剣商をしていたからで、
おそらく綺麗な原画のフィルムを米国人から購入したことから、
朝日新聞に投稿し、多くの方々の反応が大きかったのが原因であろうと考えます。
海軍の船は、多くの軍人が亡くなる運命にあります。
そこで、多くのご家庭では自分の息子かもしれないと連絡をする方が多いのです。
鮮明な写真はおそらく報道関係者が撮ったと思われ
戦後米軍の手に渡り、刀剣業者から私へと手に渡ったと思えます。
ただ一人生き残った軍人は、戦後広島県に居住されました。
私は新聞社から電話番号を聞き出し、連絡をいたしましたが
「生き恥を晒したくない、まもなく病で亡くなる
状況なのでお会いできない。」と断られました。
おそらく、私がこの潜水艦に乗務した人物と
電話連絡をした最後の一人であると思います。
それ以来、私は本を書いてくれる方を探したのですが、
残念ながら現れず、20年以上経過し、意を決して
私自身で本を書くことにしました。
文章は下手でありますが懸命に書き上げて
この木梨艦長を皆様によく知って頂きたいと小説風に書かせて頂きました。
人間は勇気があればなんでもできると気付かされる木梨艦長の
行動に私たちは勇気づけられると思います。
今世界ではあちこちで戦いが行われております。
世界は狭くなり多くの人々はいとも簡単に世界を旅することができます。
平和で楽しい世界が築かれる事を祈るばかりです。
うっかりして戦争に巻き込まれない様にしませんといけません。
注意をしながら相手とよく話し合う必要があるでしょう。
海軍士官学校で中間の成績であった木梨氏が何故、
ビリとなって卒業をしさらに戦地で戦争をしながら
艦長試験を受けてトップの成績で
潜水艦伊号に乗り込む事ができ、さらに南太平洋で輝かしい
成績を残すことができたのか。
日本の海軍は厳しくもありましたがビリで卒業しても
艦長試験を受ける事が出来るのに驚きを禁じ得ません。
おそらく陸軍ではありえなかったことかもしれません。
皆様も決して諦めることなく自分の目標をしっかりと
掴んで頑張ることで成功すると思います。
やれば出来る!とわたくしたちは確信し、
限られた時代を生き抜こうではありませんか、勇気をもとうではありませんか、
今は過去の出来事が失われてつつありますが、
当時懸命に生きた木梨艦長の努力を皆に知って頂き、誇りをもって頂きたいのです。
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時折ご主人と奥様がおみえになることがあります。
お子様も一緒で本当になかのよい家族です。
旦那様は決して怒る事はなく奥様も旦那様を大切に愛されております。
どういう訳か私とは皆様と相性がよく
仲良くお付き合いをいたしております。
私も84歳となりました、彼がいつまでも老人を敬い
奥様を大切に又お子様を大切に育てて欲しいと願っております。
おじい様、おばあ様を大切にしてあげて下さい。
奥様を大切に、旦那様を大切に、今は秋です。
時にはお二人でお出かけになるのもよいと思います。
青い空の中でお二人で美味しい秋刀魚を食べたり、
旅行をされたりしてのんびりとお過ごし下さい。
お子様には親切、快活で質素な性格を持って自然にひたって下さい。
勉強も大切ですが自然に接する事で
人間は大きな大きな事柄に接すると思います。
お子様は勇気と努力を勝ち得て、限られた人生を
生き生きと生活して欲しいとわたくしは願っております。
やがて選挙がおこなわれます。
どうか清1票を自分自身で考えこの日本を支える為に選んでください。
お子様には親切、快活さを教え質素を教えて下さい。
子供は厳しさには結構絶えるものです。
愛情をもって我慢強い子供に育てましょう。
日本の政治を良くする会 ドンキホーテ 会長 鶴田 一成