脇差:水心子正秀/天明七年二月日 

ご注文番号:19397

脇差:白鞘入り、拵え付き(保存刀剣)

銘:水心子正秀
天明七年二月日 

鞘書:水心子正秀 天明七年二月日 

当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております
本作の出来は水心子正秀として上作にランクされる作品です。
研磨済み
はばき:金着一重
刃長:1尺7寸9分5厘(54.5センチ)
反り:2分5厘弱 (0.757センチ)
目釘穴:1個
元幅:3.18センチ
先幅:2.22センチ
重ね:0.66センチ
刀身重量: 540グラム
時代:江戸時代天明の頃
体配:身幅。重ね厚く反りが浅く付き切先、大きく延びる。
地鉄:小板目肌良く練れて地錵が良く付き綺麗な無地肌となる。
刃紋:錵出来、刃区より直刃、その先濤乱刃となる。 
ややばさけた大互の目乱れとなり帽子丸く返る。

特徴:水心子正秀は新々刀の開祖とも言うべき
江戸時代後期を代表する刀匠で、寛延三年(1750)に出羽に生まれた。
少年期に野鍛冶に学んだとも仙台國包に学んだとも言う。
後に藩士の紹介で武州川越の宮川吉英に入門した。
安永三年(1774)、明和四年(1767)から弘化二年(1845)の間
山形を支配していた秋元家の抱工となり、
名を儀八郎正秀と改め後に水心子という号も使用する様になった。
天明(1781)以降は江戸にのぼり秋元家中屋敷に住み、
備前伝を石堂是一、相州伝を綱広に学んだ。
鎌倉時代の刀剣を目指した復古刀を提唱し
研究を重ね実用的な刀剣の製作を行い、また出羽の大慶直胤、
下野の細川正義をはじめとする全国から集った百人以上ともいわれる多数の門弟を育成した。
文政二年(1819)に天秀と改名、文政八年(1825)に七十六歳にて没した。

拵:
鍔:円形の鉄鍔に赤銅で覆輪をほどこし金で三本の線で家紋を作る
縁頭:四分一地に神社の鳥居と人物を彫る
鞘:黒呂色鞘。
目貫:伊勢エビの図がrを高彫りし金で色絵をほどこす。

葵美術より一言:水心子正秀は初期の作品は濤乱刃や
匂口の深い直刃などが多かったが折れ易い為に復古刀を目指して
成功を収めるが現代の鑑賞する側に立てば折れ易いと言われた濤乱刃か評価されている。
本作も天明七年二月に制作された葉でな濤乱刃に位置し評価のされる作品と言えます。
当時濤乱刃は流行し正秀、助隆、綱俊、多くの刀工が濤乱刃に挑戦し成功を収めている。
拵は当時の作品で良く出来ております。

保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形

価格: 880,000円(消費税、送料共)

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