刀:御即位禮御拳行之歳大正四年初秋/應武田陸軍少将下好/発賜皇威保護国家神刀帝室技芸員大阪住月山貞一時年八十才謹作

ご注文番号:18333

刀:白鞘入り、拵え付き(特別保存刀剣鑑定書)
銘:御即位禮御拳行之歳大正四年初秋 應武田陸軍少将下好/発賜皇威保護国家神刀帝室技芸員大阪住月山貞一時年八十才謹作

当社では刀工の出来によって最上作、上々作、上作、普通作を記載しております。
本作の出来は大阪住月山貞一としては最上作にランクされる作品です。

研磨済み
はばき:金着一重
刃長:68.2センチ
反り:1.6センチ
目釘穴:2個
元幅:2.77センチ
先幅:1,855センチ
重ね:0.65センチ
刀身重量:690グラム
時代:大正4年 1915年
体配:身幅、重ね頃合いで生刃を残し反りが深く切先が延びた体配の良い姿をした作品。
地鉄:柾目肌細かく詰んで一見すると小板目風の見えるが良く練れて細かく地錵が付き柾目に沿って地景が良く入る。
刃紋:錵出来直刃、匂口深く打除、二重刃が入り小足、砂流、金筋が働く。
帽子:のたれて丸く返り先、掃掛となる。

特徴:初代月山貞一は摂津の刀匠。本名月山弥五郎。天保七年(1836)二月、江州須越村に生まれ、七歳にて月山貞吉の養子になる。十一歳頃から修行を始め、二十歳頃には綾杉肌を習得していたと言われる。明治九年の廃刀令後も作刀ひとすじに進み、明治二十六年にはシカゴ万国博に刀を出品して受賞し、翌年明治天皇より作品お買い上げとなる。明治三十九年(1906)四月に帝室技芸員に任ぜられる。彫刻の名手としても有名。大正七年(1918)七月十一日八十四歳で没した。作刀は嘉永三年(1850)の十五歳から大正七年(1918)の没年までみられる。
地鉄は小板目が良く詰み、無地風になって地沸が付いたものが多く、映りのあるものや柾目肌、綾杉肌などがある。彫物は最も得意とするところで梵字、剣、護摩箸、旗鉾、草の倶利伽羅など簡素なものから不動明王、梅龍、倶利伽羅龍、龍虎などの密彫にいたるまで画題も豊富である。貞勝の父としても知られる。

拵:
鍔:円形の赤銅地に波の図柄を高彫りし金の色絵をほどこす 耳は縄模様を刻み金の色絵をほどこす。
縁頭:赤銅地に龍の図柄を高彫りし金の色絵をほどこす。 銘:吉長 美濃後藤
鞘:黒呂色鞘
目貫:龍の図柄を高彫りし金の色絵をほどこす。

葵美術より一言:本作の月山貞一は体配が良く柾目出来の作品で月山貞一が帝室技芸員で80歳の年齢時に 大正4年秋の初めに武田額三陸軍少将閣下の為皇威保護の国家の守の刀として誠心誠意を込めて制作した作品です。
茎に彫られた武田 額三(たけだ がくぞうは1881年明治14年10月25日から1928年(昭和13年)迄勤務する。
1917年(大正6年)1月、参謀本部付となり、陸大教官、兼参謀本部員を務め、1918年(大正7年)8月第3師団司令部(大正7年)イルクーツク駐在としてシベリアに出征参謀本部付けを経て1919年(大正8年)9月の帰国同年8月歩兵大佐に昇進し参謀本部課長に就任した。
1924年(大正13年)12月歩兵第77連隊長を経て1923年(大正12年)8月歩兵大佐に昇進し参謀本部課長に就任した。
1924年(大正13年)12月、歩兵第77連隊長に転じ、1927年(昭和2年)2月、フランス大使館付武官となるが、1928年5月パリで死去し陸軍少将に進級した 。ウイキペヂアより引用
1917年(大正6年)1月、参謀本部付となり、陸大教官、兼参謀本部員を務める直前に制作された作品で大変珍しく貴重な作品と言えます。月山貞一が老骨に鞭をうって制作した作品で恐らく息子の貞勝も手伝った作品といえます。
特に地金が極めて良く柾目が詰んで所々柾目がしっかりと見え刃紋は大和伝保昌写しの傑作刀です。
銘文も申し分なく武田 額三陸軍少将のお持ちものでした。 是非この貴重な作品を是非御薦め致します。

時代背景:戦前の大正期の緊張はあったもののゆったりとした時代であったのかもしれません。

特別保存刀剣鑑定書
葵美術評価鑑定書:全身押し形

価格:2,500,000円(消費税、送料共)

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